埼玉県出身。県立浦和西高卒。東京藝術大学作曲科卒。ドイツ・ハノーファー音楽演劇大学大学院指揮科修了。その他、バンフ、ザルツブルクにて指揮法を学ぶ。ハノーファー大学院在学中、北ドイツ・オルデンブルク歌劇場のコレペティートァ兼指揮者となる。同劇場では、オルフのオペラ「賢い女」のほかバレエ公演の指揮を担当。
1987、88年、ドイツ、シュレスヴィッヒ・ホルシュタイン音楽祭にて、L.バーンスタイン氏の指揮ピアニストを務める。氏より、スコア初見力を高く評価される。88年、オランダ、ヒルヴェルスムで開かれた、岩城宏之氏講師による国際指揮者講習会にて、最優秀賞のエドワルド・ファン・ベイヌム賞受賞。オランダ放送響を振ってアムステルダム・コンツェルトへボウデビュー。
88年、岩城宏之氏の招聘により、オーケストラ・アンサンブル・金沢の初代常任指揮者に就任。89年、同OEKの第一回定期公演を振って、日本デビュー。90、91年武満徹氏の「ミュージック・トゥデイ」に登場。96年、文化庁海外派遣研修員として、ベルリン国立歌劇場ウンター・デン・リンデン、バイロイト祝祭歌劇場にて、D.バレムボイム、R.ロイター教授の元、オペラの研鑽を積む。
99年、母校東京藝術大学にオペラ科講師として招聘される。同年、ドイツ・ザクセンアンハルト州都のマグデブルク歌劇場に、シュトゥディエンライター兼指揮者として就任。翌年、カペルマイスターに就任。モーツァルト「魔笛」、ヴェルディ「アイーダ」などのオペラ作品のほか「白鳥湖」「くるみ割り人形」等、チャイコフスキーの三大バレエや「ドン・キホーテ」などのレパートリー作品を手掛ける。
2000年、同劇場にて、H.ポトツキ台本によるオペラ「裏切る心臓」を作曲し、オペラ作曲家デビュー。と同時に、若きR.ヴァーグナーと同じポジションである、同劇場座付き作曲家の栄誉を授かる。「裏切る心臓」は同歌劇場にて数十回上演され、その後、金沢、東京国立劇場、ソウル〈芸術の殿堂〉で再演された。座付き作曲家として、室内オペラ「薔薇とナイチンゲール」(オスカー・ワイルド原作、ポトツキ台本)を発表。
マグデブルクでの作曲家としての活躍は目覚しく、大聖堂ギムナジウム(中高校)の委嘱により、オペラ「啼かない鶏」を発表。同市の由緒あるオットー2世大聖堂にて初演。05年、ドイツ・バイエルン州、ヴュルツブルク音楽大学オペラ科主任教授に就任。12年、大学院コレペティートァ科が新設され教授に就任。後年、指揮科を兼任。
オペラ「トスカ」分析・研究に対し、また、副科学生参加の特別授業「指揮クラブ」の功績に対し、学長より表彰される。「指揮クラブ」のクラスより、指揮者ヘルムート・ライヘルが巣立った。09年「裏切る心臓」のオーケストラ版が、OEKの委嘱により、コンサート会形式にて金沢で世界初演。
11年〜19年、新国立劇場オペラ研修所所長木村俊光氏の招聘により、研修生の指導に当たる。21年〜22年、オペラ研修所音楽主任講師。21年、ドイツ・ヴュルツブルク音楽大学定年退官。指導した学生総数は声楽科270名余。指揮科、コレペティートァ科40名余。日本に戻り、後進の指導に当たる。
日本、ドイツ国内のみならず、フランス、ベルギー、英国、モロッコ、韓国、ハンガリー、チェコに客演。指揮をV.フェルドブリル教授、R.ロイター教授、H.イェリス教授、F.ライトナー教授に師事。作曲を北村昭、小林秀雄、黛敏郎各氏に師事。ピアノを竹内典子、小川明子、D.ワイルド教授に師事。ソルフェージュを宮原節子氏に師事。89年金沢トイップ大賞受賞。第一回荻野吟子賞受賞。2021年下総皖一音楽賞受賞。現在、ドイツ・ヴュルツブルク音楽大学終身教授。